ななめ下から上昇思考

まとまらないものごとをまとめないままに

わたしのミギー

寄生獣」に便乗したタイトルをつけてみましたが、内容はあまり関係ないです。

 

私の右手の甲にはやけどの跡があります。タテ5センチほどで逆三角形のわりと大きなものです。

2歳のときにアイロンでやけどしたそうです。

熱さや痛さは覚えていないので、やけどの跡があるからと言って、特に不便はありません。幼稚園で右・左の方角を、みんなが「おはしを持つほう」「お茶碗を持つほう」と覚えている時、「やけどの跡があるほう」が右ですぐにカンニングができるため覚える必要がなく、トクした思い出さえあります。

自分としては当たり前にそこにあるものなので、冷静に見ることができないのですが、一度「気持ち悪いねー」と言われたことがあって、衝撃でした。そう見えるのかー!と。

今現在も、やけど跡が他人からどう見えているのかはよくわかりません。

 

子供のころ、小学校くらいまではこのやけどの跡について、何度質問されたことか。会う人ごとに説明していたような気がします。

中学生くらいからだんだん尋ねる人がいなくっていきました。私の無意味に暗い性格もあって、「聞いてはいけないような物語」を想像するのか、誰もが触れなくなっていったのでした。実際はそんなドラマチックストーリーはないのですが、私も、わざわざ自分から説明することもしないので、やけど跡は、当たり前にあるけれど見ないふりをされるもの、となっていきました。

 

人生において色んなことがうまくいかない時、このやけどの跡がいけないのではないか、と思うことがあります。形成外科で消してもらおうか、と何度も考えています。

でも、ここまで大した災厄に遭うこともなく生きてこられたのは、やけど跡が守ってくれたんじゃないか、と考えることもあるので、結局何もしないまま今に至っています。

冷静に考えればただのやけどの跡です。でも気持ちのバランスによって、疫病神に思えたり、守り神に思えたりします。

物心がついた時からあるもので一緒に成長もしているし、無駄毛も生えてくるし、身体の一部といってもいいと思うのですが、それでもやはり異物感はずっとあります。

今は毎日わりと安定した日々を過ごしているので、ただそこにあるもの、というか。特別なことは何もしないけれど気配だけはある生き物みたいな気がしています。

 

だから何やねん、という話なのですが、先日、ものすごく久しぶりに「それどうしたの?」と聞かれて、「2歳の時」「アイロン」「覚えてない」などという昔よく使っていたフレーズを口にし、懐かしくて、嬉しかったので、こんなことを書いてみました。

 

 

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