ななめ下から上昇思考

まとまらないものごとをまとめないままに

エンドをハッピーにしない

前回ブログで書いた闘病していた猫は、先日亡くなってしまいました。

 

病名は、

不整脈源性右室心筋症(ARVC)

という、心筋症の中でも発生確率1%という、珍しい病気です。

(参照 http://ameblo.jp/hikosan1980/entry-11531901939.html) 

獣医さんの間でもあまり知られていない病気のようです。実際、うちは途中で病院を変えたのですが、1軒目の獣医さんでは、胸水がたまっているが、原因がわからない、と言われ続けていました。2軒目の獣医さんは心臓をよく診てきた方だったため、判明しました。(ちなみに、なぜ病院を変えたかというと、遠くて通院が困難だから、という人間側の都合です。その獣医さんに出会えたのは、ただ単に運が良かっただけです)

なぜ珍しいかというと、ほとんどが突然死してしまうから、診断に至らないということのようです。診断されても、大体2週間以内になくなる、とのこと。うちの猫は、私が調子が悪い、と気づいてから半月ほどで亡くなりました。

病状としては、胸水がたまるので息が荒くなり、ごはんを食べなくなる。大体一日一度病院に行き、胸水を注射で抜いてもらっていました。

 

うちの猫は、17年間ほぼ病院に行ったことがありませんでした。恐ろしく引っ込み思案で、玄関チャイムがなるとすぐさま隠れる、人が遊びにくるとクローゼットの奥で石化するような子でした。病院に行き出してから10日で亡くなりましたが、入院したり、連日1日2回病院に行ったりしていたので、相当なストレスを感じていただろうし、結果的にそれが死期を早めた気がしています。

病名がわからない時も、かなり危ない、元に戻ることは難しいと言われていたので、

  • 無理はさせない
  • 苦痛を取り除くため、できるだけのことはする

と決めていました。

猫のためというより、自分が後悔したくないがために、立てた方針だと思います。

今思うと、病院に行かないというのも一つの道だったと思っています。もちろん、最初は治ると思って行ったわけですが、難しいとわかった時点で治療をやめるのも手だったし、そうすればこころ穏やかに過ごせたかもしれない。ようは、苦しそうな猫を見続ける精神力が自分にはなかったということです。自分のエゴと、猫の望んでいることについて、とても悩みましたが、結局はエゴを取ってしまいました。

 

最期を看取るのはとてもつらいことでした。いわゆる、眠るような、とか、ぽっくりと、みたいな、理想的な最期とは程遠いものでした。17時間ほど苦しみ続け、最期は痙攣して、心臓が痛むからか足をバタバタさせて亡くなりました。

 

つらすぎて数日しかたっていないのに記憶が遠いです。でもこのまま忘れたり、記憶を美化したりするのは、最期頑張った猫に失礼なので、書いておこうと思いました。

どうしても、人は救いを求めてしまうもので、猫が亡くなったと聞いても、長生きできてよかったよね、とか、幸せだったよね、とか、よかった探しをしてしまいそうになるし、他の人からもそのような言葉をかけていただきますが、幸せな結末ではなかった、ということは書いておきたい。うちの子はものすごく性格がよくて本当にいい子だったけれど、最期にはめぐまれなかったと思う。そういうこともある。

 

忘れたり記憶を美化したりすることは、おそらく前向きに生きるコツなのだと思うので、明るい人間を目指す者としては取り入れるべきなのでしょうが、これに関しては、とことんネガティブでいい。しばらくは、くよくよと悔やみ続けたいと思っています。

 

く、くらい。このど級に暗い文章を読んでくださった方、いらっしゃったらありがとうございます。

次はもう少し気軽な文章を書きたいと思います・・・